なぜ自慢話をしたくなるのか。
暇な私は時折どうでもいいことを考えます。
今日もそんなどうでもいいことを考えて行きましょう。
本日の議題。
人はなぜ自慢話をしたくなるのか。
そしてなぜ他人の自慢話はあんなにも退屈なのか。
さて、行き当たりばったりでまとまらない予感を抱きつつ始めます。
以前ブログに書いた気もしますが、自慢話というのはかなり快感を得られるものらしいです。ソースとかそういうのは各自探してください。どこかで見ました。
そりゃあ快感が得られるのなら話したくなるよね。気持ちはわかります。私も自慢話して、すごーいって言われたい。
でもね、自慢話をする人の話って大抵、すごーいってならないんです。
それはなぜか。
理由はただひとつ。
自慢が大したことなくてしょぼい。
これに尽きると思います。
なんというか当事者が嬉しそうに自慢する話ほど、ふーんってなっちゃう。
いきなり友達の話を自慢気にされても、私その人知りませんし……ってなっちゃう。
何年も前の栄光にすがられてもふーんってなっちゃう。
そりゃあオリンピックに出てメダル取りましたくらいの栄光だったらいいですけど、その栄光はしょぼいんです。
ではなぜそんなつまらない自慢話を自覚なしに話してしまうのか。
それは周囲が優しいからです。
話を聞いてあげる人が「わーすごいですねー」とたとえ棒読みで感想を述べたとしても、自慢話で恍惚としている本人は相手が楽しんでくれてる、なんて正常ではない判断を下してしまいます。
棒読みだったっとしても、嫌々だったとしても反応してあげる優しさ、それがつまらない自慢話を助長してしまっているんですね。
でもなかなか「その自慢話くっそしょぼくてつまらないですよ」なんて言えませんよね。
だからこの世界からつまらない自慢話は姿を消してくれないんですね。
無自覚な人が大きな顔をして生きられるこの世界。
自覚ある人が苦労をするこの世界。
少しこの世界は優し過ぎるのかもしれません。
話の着地点おかしくない?
おわる。