筆力向上312日目。

 先日の流れを受けて、私的懐メロを聴きながらブログを書こう、ということで本日は音速ラインを聴きながら。
 音速ライン最近活動してるのかな。分からん。
 結構前ですが、カラオケで音速ラインを歌おうと思ったら、メロディを完全に忘れていて歌えなかったということを思い出しました。いい歌なんですよ。記憶にちゃんと残るいい歌なんです。
 音速ラインは哀愁ただようメロディがいい感じ。激しいギターもあるんですが、その中にどこか儚さというか哀しさのような物を感じます。

 邦楽アーティストを最近発掘してないなぁ。発掘というのは要するに自分のお気に入りアーティストを見つけることなんですが、音楽を聴く機会が減ってしまっているのかな。由々しき事態ですね。

 あぁそうそう。常々感じている事なんですが、ここ最近強く感じることがあります。
 自身の読書量の不足。
 単純に文章を読んでいる、という観点から言えば今までの人生で適度には読んでいるでしょうけれど、間違っても多いとは言えません。
 今回問題にしたいのはそれとは少し違って、この世に名作、傑作と称される誰もが聞いたことのあるような作家によって書かれた作品の読書量です。伝承、伝説なんて分類の書物の読書量も圧倒的に足りないです。
 前者は現代にまで残る普及の名作というものに触れないまま、文学の何たるかみたいな事を考えたり、自らが小説を書くことは時期早尚とでも言いましょうか、まだ未熟な鳥が飛び立とうとして失敗するみたいなそんな感じがするんです。
 後者は、創作というフィクションの小説を書こうとしたときに、これまた現代にまで残る、と言う点では一致しますが、現代に伝わるフィクション、あるいはフィクションとは断定できない不思議な伝承、そんなものの知識が根底にあればそれに基づいた、ある種のリアリティを持った作品を作ることができるのではないか、ということです。
 結果的に言えるのは、やはり読書量の不足。文章と触れ合っていなさ過ぎる、ということでしょう。
 なんでもそうだと思いますけど、小説を書こうとした場合、やはり多くの作品を読むことと、多くの作品を書くことがより良い作品を書くことに繋がると思います。
 絵を書く場合だったら、他人の絵、というのは安直すぎるかもしれませんが、絵でなくても美しいと思うものに触れたり、多くの絵を書いたりすることがやはり技術の向上に繋がるでしょう。
 これだけの文章をもって何が言いたいのかといえば、本読めよ自分、という一点に尽きます。
 また自分宛のメッセージになりました。
 終わり。