人間失格読了。
読み進めるごとに陰鬱な気持ちが積み重なっていく。
死について考えさせられ、死に囚われそうになる。
自分の中の不安定な部分が刺激され、意識せざるを得なくなる。
そんな作品でした。
読み終えたとき、私はかなり鬱々としていました。
太宰治が自殺前に書いた、ある意味で遺書とも呼べそうなこの作品は、ものすごい衝撃を私に与えてくれました。
終わり。
4時間後の追記。
現代社会は情報を得ることが容易で、得ようと思う意思があれば、苦労しなくても豊富な情報を得ることができる。広い範囲で情報を得ることができるから、みんなの知識量というのは平坦化しているんだと思う。情報格差が狭くなってる、と言えばいいのかも知れない。
国内外問わず、大きな事件事故はものの数分で伝わってくる。必然的に、一人の人間が認識する世界の範囲は大きくなり、考えなければいけないことの範囲も大きくなる。自分の心配、自分の国の心配、他国の心配、果ては地球全体の心配といった風に。
インターネットがこれほど普及していない時代においては、情報の伝達は緩やかで、個人の認識する世界というのは比較的狭かったと思われる。
今よりも遠くの地域で起こることが他人事に感じられ、より個人の問題が重大なことと感じられていたのではないか。
そうすると個人の抱える問題とか思想というものが先鋭化していって、それが行動力として発露する。その中の一つの形が自殺だったのではないかと私は思う。
仮に太宰治が現代を生きていたのならば、自殺という道は選ばなかったのではないか、とふと思ったので上記のような考えを導きだしてみた。
しばらく経ってこの文章読んだら、なんか恥ずかしいこと書いてるなぁと思った。なんにも分かってなかった。