映画にありがちなこと。
映画を観ていると思うことがあります。
なぜすぐに殺さないのか。
なぜすぐにトドメを刺さないのか。
圧倒的な力差を持った敵に主人公が追い詰められる。
↓
それまで殺す気満々だった敵が急に余裕を見せ、なぶり殺しにしようとする。
↓
主人公わずかな隙を見て形勢逆転。
↓
主人公大勝利。
このパターンです。
これがどうも腑に落ちない。
映画としての意図は分かる。あっけなく主人公が死んでしまっては映画として成り立たないし、かと言って主人公が圧勝してしまっては面白みがない。主人公を危機的状況に陥らせることによって、視聴者の心を掴もうという意図が見える。
簡単に言ったが主人公を危機的状況に置くというのは結構難しい。
視聴者が「主人公はもう助からないのでは」と思うほどのピンチに陥れなくてはいけないのだ。絶体絶命というやつ。
しかし、そう思わせる程のピンチだが最終的に主人公が勝たなくてはいけない。
ここで条件に矛盾が生じてしまう。
助からないのに助からないといけないのだ。
大抵の場合、敵に対抗しうる武器が無いとか、怪我をしているとか、あるいは実力差がありすぎるとか、危機的状況を招く原因は主人公にある。となればその状況を打破する要因は外部に求めざるをえない。(主人公が覚醒するという手もあるけどね)
さて、外部とは何か。
例えば仲間が助けに来るとか、事前に設置しておいた罠が作動するとかそういう類のものだ。そしてその中に、敵が余裕を見せちゃうというのも入ってくる。
外的要因の選択肢があまり無いというのも、敵が余裕を見せるという演出が多用される原因であるかも知れない。
仲間が助けに〜とか設置しておいた罠が〜とかはストーリー上で事前に伏線を張る必要がある。(一人で突入したが、仲間がそれに気づいていたとかね)
その点余裕を見せるパターンは事前の準備があまり要らない。事前に敵が調子に乗りやすいタイプだとか、苦しませて殺すのが趣味とかいう描写が入っていれば親切。
お手軽にピンチを招き、お手軽に脱出できる、これが敵が余裕見せるパターンの良さだと思う。
もちろんこの表現を使用していても陳腐化していない映画はたくさんある。
一部にどうしてもお手軽さを重視したのではないか、と思ってしまう映画があるのも事実だ。
危機的状況に陥った主人公を観て「あぁこいつは死なないな。どうやって逆転するんだろう」というような楽しみ方が出来る方はお得かも知れない。
映画に関する一つの捉え方として見て頂けるとありがたいです。
別にそういう映画が嫌いと言うわけじゃないです。よく観てますし。
アクション物の映画は基本的に主人公無敵ですからね。無敵の主人公が大勢の敵を蹴散らすのとか爽快です。
そんなわけでまたもや長々と語りましたが終りにします。
おわり。