筆力向上310日目。

 分かりやすい文章、というのは一体どういうものだろうか。
 説明が多ければ良いというものではない。かといって端的に述べれば良いという訳でもない。
 必要な量の情報を適切なタイミングで適切な表現を用いて提示する必要がある。
 これはどんな文章にも言える事だ。
 簡潔で分かりやすい文章、といえば取扱説明書なんて良い例かもしれない。
 必要とされる情報をできるだけ単純化して、素早く理解する手助けをしているのだ。

 しかし、簡潔で分かりやすい文章だけが良いという事でも無いだろう。
 文学的に言えばきっと、心の内にある想いをぼかして表現することで美しい文が出来上がるわけで、それが登場人物の人となりを理解するのに役立つ場合もある。
 回り道が実は近道だったパターンとでも言おうか。

 ここからは小説の場合に重きをおいて考えていきたいと思う。
 物語の中には核心を別の事実で覆い隠し、物語終盤まで読者に真相を理解させないようにするような手法がある。ミスリードと言っていいのかな。
 このような手法をとれば、最後にどんでん返しを演出して読者に驚きを与えることができる。
 なんでも正直に書いたら駄目ということの最たる例にはならないけれど、一部ではそう考えられなくもない、という例ではあると思う。
 物語を作る上で、創作する立場である作者は当然の事ながら物語の全容を知っている。探偵小説なんかで言えば、最後に明かされる犯人が誰なのか知っているのだ。客観的に見れば当たり前の話だが、私みたいな物書きレベルの低い作者は忘れてしまいがちだ。私だけかも知れないが。
 犯人が誰なのか知っている作者が、犯人が誰なのか分かっていない主人公を物語の中で活躍させ、最終的に犯人を暴かせる事になる。
 犯人を知っている作者と犯人が分からない主人公、この二者の間には大きな違いがある。
 私自身、気をつけないと主人公に回り道をさせることを忘れ、つい事件解決への一本道を歩ませてしまう。
 しかし実際、そんなに都合よく答えにたどり着けはしないのだ。
 難解な問題になればなるほど、その答えの導き出し方は人それぞれだ。常に正しい判断がなされ、答えに近づける訳ではない。遠回りや間違いを繰り返してこそ答えにたどり着けるのだ。
 最初から答えが分かってしまっている作者が、答えの分かっていない人物を描写しようとするとかなり想像力が必要になってくるはずだ。
 あまりに的確な選択肢ばかりを選び答えにたどり着けばリアリティに欠く。
 あまりに遠回りをしてなかなか答えにたどり着かなければ間延びした作品になってしまう。
 サジ加減が難しい。
 
 私自身に対する戒めの意を込めて、記事にしてみました。
 文章にしておけば一応自分の中で考えがまとまった事になりますからね。
 難しいんですよ。
 終わり。